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Chapter 6




 ナイト2000が病院の前に到着したのは、デボンからの連絡が入ってからすでに2時間以上たった、午後9時過ぎだった。
 ナイト2000から降り立ったエイプリルは、病院の建物を見上げてKITTに言った。
「ここで待っていて、KITT」
“はい、わかりました”
 エイプリルが病院に入って行くのを見送りながら、KITTは呟いた。
“マイケル……いつものように『大した事はなかったよ』と元気な姿を見せて下さい。私のパートナーはあなただけなんですから……”

 311号室のベッドの上で、マイケルは頭に包帯を巻き、生命維持装置に囲まれて横たわっていた。そしてマイケルを見守るように、側にはデボンとドクター・ストーンが付き添っている。
 ベッド脇に置かれた様々な医療器具の内、心電図は規則正しい波形を描いていた。しかし、脳波計の吐き出す記録用紙にはずっと平たんな線が描かれ続け、人工呼吸装置は休みなく働いていた。
 ノックの音に、デボンが部屋の扉を開けると、そこにはエイプリルが立っていた。
「デボン……」
 エイプリルはデボンの肩越しに部屋の中を覗いた。そしてマイケルの置かれた状態に、はっと息をのむ。
「…マイケルは……」
 恐る恐るエイプリルが尋ねる。
 デボンは答える代わりに無言で首を振った。
「そんな!」
 エイプリルはマイケルのベッドに駆け寄ろうとしたが、デボンがそれを押し止めた。
「頭を撃たれた。まだ心臓は働いているが、すでに脳死の状態だ。回復は望めない。ドクター」
 デボンの言葉を受けて、ドクター・ストーンが脳波計のグラフを示しながら説明を始めた。
「脳死がどういう状態を指すものかはご存知でしょう。この患者はここに運びこまれて来た時からすでに脳波は平坦な状態で、自発呼吸も停止しており、これは……」
 冷静を通り越して冷たささえ感じさせるドクターの説明を、エイプリルは遮った。
「どうしてこんな事になったんですの?! 誰がいったいマイケルを!」
 激しい口調で詰め寄るエイプリルに、デボンはいくらか戸惑ったような表情を見せた。
「……まだ何もわからんのだ。マイケルが狙われたのかどうかさえ、はっきりしていない」
「どういう事ですの? それは」
「マイケルが撃たれた時一緒にいたのは、私と国防総省のクレメント次官補だった。犯人が始めからマイケルを狙ったのか、またはクレメントを狙ったのか、それはまだ分かっていない」
 やはりマイケルはデボンに呼ばれて来ていたのだ。
「でも、なぜ……。デボン、ひょっとしたらこの狙撃事件はマイケルがあなたに呼ばれた事と何か関係が……」
「エイプリル!」
 デボンが、驚く程厳しい口調で言った。
「マイケルは極秘の調査の件で私が呼んだ。その調査内容に関しては君にも話す訳にはいかんのだ。マイケルを撃った犯人については現在FBIが調査中だ」
 そしてエイプリルの視線を避けるようにベッドに横たわるマイケルの方へ目をむけた。
「私はまだしばらくこちらに残る。君はすぐに本部へ戻って待機していてくれたまえ」
 この説明はエイプリルにとってとても納得の行くものではなかったが、デボンの言い方には有無を言わせない響きがあった。
「……分かりました。でももう一つ聞かせて下さい。マイケルはこれから…どうなるんですの?」
 一番辛い質問だった。
「3日間はこのまま様子を見る。しかしその後は……」
 エイプリルのとうとう目から涙が溢れた。
「KITTには、君から伝えておいてくれるかね?」
 デボンの問いにエイプリルは小さく頷くと、最後にもう一度マイケルを見た。そしてそのまま病院を後にした。


 “エイプリル”
 病院の建物から出てきたエイプリルを見つけ、KITTが叫んだ。幸い夜の病院の駐車場には他に人影は無かったが、今のKITTにはそんな事を気にする余裕は無い。
“エイプリル。マイケルはどうでした?”
 エイプリルはナイト2000のルーフに手をかけると、気を落ち着かせる為に目を閉じた。
「KITT……、聞いてちょうだい。マイケルは頭を撃たれたの。それで、今はまだ心臓は働いているけれど、もう二度と意識を取り戻す事は無いわ」
“それはどう言う事ですか”
 KITTに理解できない筈は無い。だがエイプリルは素直に質問に答えてやった。
「つまり<脳死>と言う事なの……。生命維持装置で体は死んではいないけれど、3日後にはそれも取り外されて、マイケルは……マイケルは本当に死んでしまう!……」
 とうとう堪え切れなくなって、エイプリルは両手で顔を覆った。
“脳死? マイケルが?! まさか”
 KITTはすぐに病院の患者のデータと生命維持装置を管理するメディカル・コンピュータへアクセスした。マイケル・ナイトのデータを自分で確かめる為に。
 ナイト2000のモニターに目的のデータが表示される。
 −−マイケル・ナイト…。311号室…。33才、白人、男性…心拍数=70、血圧=78〜130、脳波=フラット−−
“フラット!!”
 メディカル・コンピュータのデータを読んでいたKITTのCPUの中で、その瞬間微かなショックが起き、同時にモニターにメッセージが走った。
 −−An Internal Error has occurned −−
 それは僅かな間の過電流だったかも知れない。またそれが外部で発生したものならば、厳重に保護されたKITTのCPUは何ら影響を受けはしなかったろう。
 しかし自身の中で発生したこの小さな衝撃に対して、KITTはガードしきれなかった。
“脳波=フラット? 脳挫傷により脳幹機能停止? これではまるで生きていないみたいだ……誰か死んだのか?  マイケル・ナイトが? ……受け入れられない!”
「KITT!?」
 思わずエイプリルはナイト2000のコックピットを除きこんだ。
 −−INVALID DATA −−
 ナイト2000のモニターで、オレンジ色の文字が点滅している。
「KITT! 一体どうしたの!?」
 突然ナイト2000のエンジンがかかり、低いうなりを上げる。
“データ・エラ−……マイケル……どこにいるのですか”
「KITT…、あなた……」
 そう声をかけた時、ナイト2000のギアがいきなりバックに入ったのが見えた。
 エイプリルがあわてて一歩下がった瞬間、ナイト2000は後ろにむけて急発進し、タイヤを軋ませながら方向転換すると、エイプリルをその場に残したまま行ってしまう。
「待って!! KITT。戻ってらっしゃい!」
 エイプリルの叫びも虚しく、ナイト2000の姿はあっと言う間に視界から消えてしまった。
「KITT……あなたまで。いったいどうしたらいいの?」
 エイプリルは暫くの間呆然として立ち尽くしていたが、やがて我に返ると病院の中へととって返した。



「デボン!」
 マイケルの病室にエイプリルが戻って来たのを見てデボンは驚いた。
「どうしたんだね、エイプリル。本部に戻ったんじゃあなかったのか」
「KITTが一人で行ってしまったんです。私がマイケルの事を説明していたら、急に……」
 エイプリルは泣きたいのをこらえて言った。
 しかしそんなエイプリルとは対照的に、デボンは腕を組んだまま呟く。
「KITTでもダメだったか……」
「デボン?」
「あ、いや。分かった。地下の駐車場に私の車がある。君はそれで本部まで戻りたまえ。それからKITTの居所を補足しておきてくれ。どこで何をしているか、分かりしだい私に報告して欲しい」
 そう言うと車のキーをエイプリルに手渡した。
「分かりました。……それから、マイケルを撃った犯人についても調べてみますわ。もしかしたら、過去に起きた事件にかかわって……」
 だがデボンの反応は意外なものだった。
「マイケルの件はFBIにまかせるんだ! 君はとにかくKITTの行き先を追う事だけに集中していたまえ。これは命令だ。……いいかね」
「デボン…」
 エイプリルは、デボンをまるで見も知らぬ他人のように見つめた。
「わかりました」
 仕方なくそう言って再び部屋を出たものの、もうエイプリルには何がなんだか分からなくなっていた。
(どうしてこんな事に? マイケルは撃たれて、KITTは行ってしまった。それなのにデボンは……。KITT、いったいどこへ行ったの?)
 ぼんやりとエレベータを待っていたエイプリルは、ふと思いついた。
(そうだ、コムリンク! 今ならまだあれでKITTを捕まえられるかも。コムリンクはマイケルが着けていた筈……)
 さっきのデボンの冷たい態度を思うと、再度病室へ戻る事にためらいを感じたが、今はそんな事を言っている場合ではない。エイプリルは再び311号室に向かった。
 廊下を曲がって前方を見ると、今自分が行こうとしている部屋に、病院関係者とも思えない未知の男が入って行くのが見えた。
(誰かしら? FBI?)
 エイプリルは直感的に足音をたてないように部屋へと近づいた。
 一方、マイケルの病室ではデボンと今入って来たクレメントが話していた。
「……と言う事は、やはり<アダム>と同じ結果になったと言う訳だな」
 クレメントがしたり顔で言う。
「まだ狂ったとは言えん。KITTは人間と変らない感情を持っているんだ。レン、君だってごく親しい人が死んだとなれば、一人になりたくなる事だってあるだろう? とにかくテスト期間は3日間の筈だ。危険な状態にならないうちは、様子を見る約束だ。結論はその後で出す!」
 デボンはイライラしたように部屋の中を歩き回りながら一気にまくしたてた。
「よかろう。だがもし危険な状態になった時、すぐに対応が出来るように……」
「その時は我々が責任を持ってナイト2000を破壊する! 既にナイト2000の位置を補足するように言いつけてある」
 エイプリルは何とか部屋の中の会話を聞き取ろうとしていた。
 ふともれ聞いた「アダム」と言う言葉に、引っかかりを感じたからだったが、扉の向こうの声は切れ切れにしか聞こえてこない。
 それでもその断片的な言葉すべてがエイプリルにとって衝撃的な内容だった。
 「テスト」「3日間」「ナイト2000を破壊」……。
「では私は准将に、現在の状況を報告して来よう」
 クレメントが部屋を出る気配に、素早く隣の病室へ身を隠しながらエイプリルは慌ただしく自分の記憶を辿った。
 そう……「アダム」と言う名前、これはコンピュータの名前だ。
 −−突然私に旧約聖書の事を聞くんです−−
 KITTが言っていた、マイケルが聞いた「アダム」とは、聖書の中の「アダムとイブ」の話ではない。IBMワトソン研究所の、あの「製作・教育者の死によるショックで狂ってしまったコンピュータ」の事だ。と言う事は……。
(大変だわ!)
 エイプリルはとうとう今何がおきているのかに気づいた。これはKITTを試す為に仕組まれた事件なのだ。
(そうよ。これはデボンがKITTを試しているんだわ)
 それなら全ての説明はつく。デボンの妙な対応も、今朝のマイケルの動きも。
(じゃあマイケルが撃たれたのも嘘?!)
 エイプリルはクレメントの姿が見えなくなったのを確かめると、デボンに問いただそうと足を踏み出した。
 しかし、この事件が自分が考えた通りだったとしたら……ここでデボンに問いただすのはまずいのではないか? そうする事で、逆に自分が拘束されてしまったら、いったい誰がKITTにこの事を知らせられるのか? へたをすればナイト2000はFLAGによって破壊されてしまうかもしれない……。
(KITTと連絡をとらなければ!)
 エイプリルはマイケルが無事である事を信じて、そのまま地下駐車場へと向かった。
 −−でも、これがテストだとしたら、マイケルはこの事を承知していたのかしら−−
 分からない。とにかく今は一秒でも時間が惜しかった。
 エレベーターが地下2階の駐車場に着くと、エイプリルはドアの開くのももどかしげにデボンの車へと駆け出した。


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